cosmos_10の日記

日々の記録。気付き。

未来の私は何を想うのか。

21歳の秋。生きる意味、目的を見つけた。

看護師になって、大事な人たちを守りたい。

家族の最期に傍にいてあげたい。

母が見れなかった景色を見せてあげたい。

 

本気でそう想えるようになったのも、

自分で自分を苦しめた日々があったから。

布団の中から抜け出せなくて

自分を知る全ての人の記憶の中から

自分がいなくなることを願ってた

あの日々を乗り越えたいま。

もう恐れることはないと

そのままの自分を受け入れれるように

なったけど、ときどき考える。

 

自分の選択が正しかったのか。

 

大学を卒業して、就職しなかったこと。

奨学金を借りて

専門学校に行くという選択をしたこと。

ストレートにいっても、看護師として

社会に出れるのは26歳。

 

年齢を重ねても色んなことに

チャレンジしてる人は周りにたくさんいるから

いつ始めても遅くないことも知ってる。

ただ、リミットがあるものはたくさんある。

 

 

何を優先するのか。

 

いまのわたしには叶えたいことが

たくさんありすぎるのかもしれない。

 

看護師になると決めてから

1年半が経った。

この間に、単位ギリギリで大学卒業して

病棟で看護助手として働いて

受験勉強して、進学先決まって。

フルマラソンに参加したり。

布団から抜け出せなかった日々には

考えられない現実がある。

 

やって後悔はない。

色んなことやってみて、動いてみて

見えてきたこと気づけたことがたくさんある。

 

やらなければならない。

こうであるべきから離れて

できないときはしない。

逃げるのもひとつのて。

進学することに対して

就活から逃げたともときどき思う。

それでもいい。

正解はない。

 

また何年後かに

過去の自分の選択がよかったって

想える日がくるように前に進もう。

 

 

       大丈夫。

不安になることもたくさんあるけど、

なるようになる。

ダメでも、まだ他に道がある。作ればいい。

 

4月から看護学生として

できることをやってこう。

 

 

 

 

 

 

マラソンが教えてくれたこと

先日、人生初のフルマラソン

チャレンジした。

結果は14kmで時間オーバー。

収容バスゆき。

半年前、職場の先輩の話に影響受けて。

「今できること。今しかできないかもしれないこと。看護師目指すにあたってチャレンジするの大事やで。」

ストレートに響いた。やりたいって

先輩お2人がグループで

申し込みをするとのことで、

わたしもやりたいです!と言っちゃった。

その日が近づくにつれて、

言うべきじゃなかったかも…

とモチベーションが下がってたのも事実。

だけど、結果として

チャレンジしてよかったと今は思う。

この半年でたくさん得たものがあるから。

 

もともと走るのが大嫌いなわたし。

小学生のときから体育の持久走が

嫌で嫌で仕方なかった。

今回走ることになるまでおそらく最長で

走ったのは小学生のときにあった

ラソン大会の2km。

そんな私が完走とはほど遠かったとはいえ

14kmも走り続けれた。

 

苦手なものってやっぱり

ほんとに続かなくて

ラソン決まってからのこの半年も

ガチで練習までとはほど遠かった。

最初の2週間は毎日2、3km走ったりしてたけど

そう長くは続かない。

先輩方とランニング記録をアプリで共有しつつ

なかなか走れてなかった。

 

たまにしか走らないっていうのもあって

1回のランニングで次の日以降の筋肉痛が嫌で余計に走れなくなった。

 

練習やりきった!

っていう状態ではなかったけど

当日はできるとこまで自分の限界知るチャンスだと思ってワクワクしてた。 

 

それなりに大きい大会だったから

大きい道路を封鎖したりするために

時間制限があって

コースにいくつか関門があった。

第一関門、残り1分前で通過。

第二関門、残り5秒前で通過。

ほんとにギリギリのギリギリ。

あと少しで関門閉まるってときに

ダッシュで通過したときの声援がすごくて

時が止まったようだった。

 

声援ってすごい。

「ようここまで来たな。あと少し!」

ゴールはまだ先だけど、

その言葉にあと少し頑張ろうって

足を進めれた。

 

次はもう少しハードル下げて

ハーフマラソンからチャレンジしてみたい。

今回やってみて、改めて運動って大事って

気づいた。

長生きしたいし元気であり続けたい。

そのためにも動けるからだ作りって大事だな。

少しずつ始めたい。

筋トレ。プロテイン

また新たに興味がわいてきてる。

あと先輩が走る目的の1つとしてた

メディカルランナーになること 。

これも看護師のモチベーションなった。

無限の可能性がある看護師に

わくわくが止まらない。

 

チャレンジ精神。

忘れずにこれからも色々やってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おばあちゃんの笑顔の裏にあるもの

口数は少ないけど

いつもニコニコしてる患者さんのおばあちゃん

 

入院当初は、

食事もほとんど召し上がられなくて

ずっとベットで寝られている状態で

会話ができるとは思ってなかったけど

最近は車イスにも移乗できるようになって

食事も1人で召し上がってる姿を見て

そろそろ退院が近づいてるんだなと…

 

そんなおばあちゃんが、

あるときわたしにこう言った。

「ムスっとしてるより笑ってる方が

いいから笑おうね」って

その日はちょうど自分自身が体調崩していて

精神的にもしんどくて

朝から仕事に行きたくない…

がいつにも増して大きかったから

余計にその言葉が沁みた。

患者さんと接するときは笑顔で接していた

つもりだったけど、見透かされてたのかもしれない。

 

そのあとも、「寂しいから知ってる子が来てくれて嬉しい。喧嘩せずに仲良くしようね。」って病室に行く度におっしゃってて。

その言葉聞いて、きっと喧嘩とか

過去に色々あったんだろうな…って。

笑顔の裏にある

寂しさ、悲しさを感じた。

 

 

患者さんから教わることが

たくさんある。

たくさんのありがとうをいただける

仕事だけど、それ以上に

わたしも感謝の気持ちを伝えたい。

 

 

 

突然の別れ

10年前。クリスマスが来ると思い出す。

母は41歳の若さで旅立った。

早朝。突然家で倒れて。

クリスマスのちょっぴり贅沢なご飯を

家族3人で食べたのが

母にとっての最後の晩餐。

 

目の前で命が尽きたのに何もできなかった。

母の命が尽きる直前、

最後に聞いたのは私の名前を呼ぶ声だった。

母と過ごせたのは12年。わたしはもうすぐ23歳

気づけば人生の半分近く、母がいないんだ

 

母は私が3歳のとき精神疾患の診断を受けて

たくさんの薬を飲んでた。

副作用で気づかぬ内に身体は悲鳴をあげてた。

入退院繰り返して、

それでも元気なときはバリバリ働いて…

きっと、頑張りすぎた。

亡くなる何日も前、体調崩して

しんどそうだった。

いつものことだと思ってしまった。

母の身体の変化に気づけなかった。

 

母が精神的に不安定だったこと。

幼い私にとってはそれが当たり前でもあり

ときには周りと違うことが嫌なこともあった

友達と遊んでるときに早く帰ってきてって

何度もメールがきてたり、

家に帰ったら包丁を持って台所のイスに

座ってたこともあった。

元気なときはバリバリ働いて、

中学校の教師したり、

保険の営業マンしたり不動産屋で働いたり

銀行でも働いたりアクティブだった。

なんてったって、わたしが保育園児のとき

通信の大学に通って、教員免許取ってるくらい

勉強大好きな母だった。

大学で教員免許1つ取ってるのに、私を子育てしながら英語の教員免許が欲しいからって。

忘れもしない。

スクーリングで名古屋まで連れてかれて、

そこの保育園に一時的にいれられて、

めちゃくちゃ嫌がった記憶がある。

わたしにも、勉強しなさいしなさいって。

塾に家庭教師に。薬剤師になりなさいって

言われたこともあったな…

あのときは嫌だったけど、

母が言ってた意味が今ならわかる。

母がいたときは、

母が作ってくれた道を歩いて、

反抗しながらもその道を進んだ。

母が突然いなくなって、

自分で道を作らないといけなくなった。

12才のわたし。

高校は中学教師の母が生前、

オススメしてたところがあって

そこに進学できた。

中1のときから高校はここがいいって、

担任の先生に3者面談で

母が話してたのを思い出す。

高校からの進路。

母は答えを教えてくれない。

自分で探して、そこから道を作ってきた

大学卒業して、看護師目指すって決めたのも。

 

母を救えなかった後悔はいつまでも消えない。

突然の別れがわたしの人生を変えた。

10年経って、母との別れがあったから

今の自分があると思えるようになった。

話すことも触れることもできないけど、

見えないだけで心の中にいてくれることが

どれだけ心強いのか。

勉強面で、本番に何度助けてもらってきたか。

 

母が亡くなってから知ったこと。

私のことが大好きだったこと。

母が最後の仕事は中学校教員だった。

職場の机の上にはわたしの写真が

たくさんあった。愛されてた。

母はたくさんのところに連れてってくれた。

一人っ子だったから、

遊び相手にもたくさんなってくれた。

病気というのも母の個性。

そんな環境で育ててもらったことが

私にとっては宝物。

 

母に夢であえたらいいな。

これからも母の生きてた証を伝えていきたい

母の娘として生まれてきてよかった

 

 

 

 

 

帰ってくる居場所


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大好きな人と突然、連絡が取れなくなった。

先日、看護学校の合格発表があり

無事に合格して、その報告の連絡を入れて

おめでとう!!って喜びの絵文字たっぷりの

メールを最後に…

 

2、3日は不安と悲しさで気持ちが乱れまくりだった。何か傷つけてしまったかもしれないとか嫌われたんだとか色んなことが頭をよぎった。

電話も出ない、メールも返事がなくて

突然のことに、動揺しまくった。

そんなときに土砂降りの帰り道。

晴れ女だから

滅多に雨に打たれることはないけど

傘を珍しくもってなくて、滝のような雨に打たれた。その雨が、思いっきり泣いていいよ。って言われてるようで涙が溢れて止まらなかった。けど、家の近くでピタッとやんだ。

また、晴れるときがくるよ。って言ってくれてるようで心が前向きになれた。

 

看護師を目指そう!って進み出したときに

出会った大事な人。出会ってすぐ、学校を調べてくれたり応援してくれたのが、印象に残ってる。看護師になって、こうありたいって思い描く私の人生に存在してたから余計にショックが大きかった。こうなって、改めて大事さに気づいた。

 

元気でいてほしい。

いつか、また一緒に笑える日がきてほしい。

会いたい…

 

連絡が取れない理由は分からないけど、

私自身も会いたくても会えないっていう日々が

あったから。そうなのかもしれないって思うと待とうと思える。

私が、しんどくて誰とも会えなくなってしまったとき。当時、好きだった人が待ってるからって言ってくれた。こんな自分でも待ってくれる人がいるんだって思えて、復活のきっかけにもなった。

結果として、色んなタイミングが合わなくて

終わった恋だけど今は感謝してる。

待ってくれる人がいたから今がある。

 

だから、わたしも待とうと思う。

おかえりって言える日がくるように。

今は向き合うものとか背負ってるものが

相手にはたくさんあるって気づいた。

夢が叶うように心のなかで応援することしか

できないけど、

信じて、戻ってきてくれるのを待つ。

 

帰ってくる居場所。

安心できるところ。

理想の看護師像でもある

安心感を与えることができるということ。

仕事もプライベートもそんな存在でありたい。

 

不安でいっぱいの時期に

たまたま前々から約束してた休日に親友と

温泉に行った。

温泉に入りながら、お互いの悩みを打ち明けて

いい時間だった…

今もときどき電話の相手をしてくれる。

この寂しさは埋まらないけど、

話したら気持ちが整理される。

 

いつまでも不安と寂しさはなくならない。

向き合って受け止めて、

前に進む。

嬉しさと悲しさが同時にくると悲しさが

勝ってしまうことも知った。

 

看護師のスタートラインに立てた喜びも

忘れかけてたけど、

また気持ち切り替えて頑張らなきゃ。

 

いつか、この気持ちが必要だったって

気付けるときがきたらいいな。

 

元気でいてくれたらそれでいい。

また、会える日までわたし頑張るよ。

 

 

父の喜ぶ姿

先日、長渕剛さんのライブに父と行った。

来年1月公開の『太陽の家』という映画も

ライブ前に見れて、贅沢な時間だった。

ファン歴22年の父。

ファンになったのは、私が産まれた産婦人科

先生が父親教室でオススメしてくれて

そこからライブに行って、ファンになったらしい。

これまで、何度もライブに行ってきたけど

なんとなくいつもとは違った。

過去最高にステージに近くて、

肉眼ではっきり見れたのもそうだけど、

父が隣で喜ぶ顔がなによりも嬉しかった。

 

看護師になると決めたあの日に

話をして、最初は心配で否定的だったけど

今は応援してくれて、

頑張ろうって改めて思えた。

 

いつかくる父との最後の日に

悔いなく支えれるように勉強頑張る。

 

かっこよかった…

また、ライブ行けますようにー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

看護師になりたいと思った原点。

来月の入試に向けて

願書書いたり、面接対策の文章作ったり

改めて看護師を目指す理由とか

きっかけとかに向き合っている。

 

そもそも。

私の仕事像の中に看護師が

入ってきたのはいつだろう。

具体的に興味を持ったのは、

高校の進路を決めるとき。

漠然と医療分野に興味があった。

だけど、理系科目が苦手なのと

学費の面で断念。

大学入ってからも、

ドラッグストアで働いたり医療に繋がることがまだ、自分の中であった。

就職先も、医療機器だったり薬品メーカーとか

そういうとこばかり見てた。

だけど、いくら会社を見ても

ピンとくるのが不思議となかった。

高校大学と医療医療って仕事の分野として

頭の中はいっぱいだったけど、

なんで医療に想いが強くあるのか。

 

幼いときの、家庭環境にある。

私が3才のとき母が精神疾患の診断を受け、

そこから入退院の繰り返しが始まった。

母に連れられ、病院によく行ってた。

精神科の待ち時間はめちゃくちゃ長い。

そんなときに相手をしてくれたのは看護師さんだった。偉いね。って褒められた記憶がある。

母との想い出には、病院の記憶が大きくある。

身近な存在だった。看護師さんが。

 

父が心臓の大手術を私が高校生のときにした。

手術前、父を送り出すとき泣いちゃって

そのときも看護師さんが傍にいてくれて

大丈夫だよ。と声をかけてくれた。

 

何度も救われた。

わたしも誰かの支えになりたい。

 

過去に後悔もたくさんしてきた。

母を助けることができなかったこと。

目の前の命を救えなかったこと。

 

看護師になって、患者さんはもちろん

父と祖母を看取る。

好きな人も好きな人の家族も

最後まで支える。

 

入試が近づいてくる日々に

不安で落ち着かないけど

看護師への原点と向き合うと

エネルギーが湧いてくる。

 

頑張ろう。

大事な人達を守るためにも。