cosmos_10の日記

日々の記録。気付き。

1人になる怖さ

突然現れる恐怖心。

寝る前に考え事をしがちで、

今日は、急に悲しい感情が現れた。

 

祖母と父がいなくなったら…

そんなことをときどき考える。

10年前、母が突然死で急にいなくなり、

当たり前と思っていた日常がなくなった。

 

人の命はいつか尽きる。

そのいつかは誰にもわからない。

 

父と祖母がいなくなったら

私はどうなるんだろう…

考えるだけで、涙が溢れる。

 

後悔なく別れを迎えるなんてきっと無理。

いなくなった先に少しでも自分の力になれるよう、たくさんの思い出を残したい。

 

母と過ごした12年間。

たくさんの楽しい記憶を残してくれた。

遊び相手になってくれたこと。

色んなところに連れていってくれたこと。

今、話すことができたら。

触れることができたら。

どれだけ願ってもできない。くやしい。

 

まだ2人にはできることがたくさんある。

毎日の会話。

大事にしよう。

 

2人がいなくなっても

笑って過ごせる日が再びくるように、

周りの人との関係大事にしよう。

 

早く家庭をもちたい。

自分の居場所がほしい。

焦りすぎず、目の前のことを大切にして

いつかきっと・・・

 

祖母と父が元気なうちに

そんな姿を見せれたらな…

 

 

 

 

 

 

 

病んだ9ヶ月。


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2018年冬から2019年秋まで

自分の殻に閉じこもって

苦しかった期間があった。

とあるときから、人と会うのが怖くなり

大学に行けなくなった。

何もすることができなくなり、

友人関係を全部シャットアウトしてしまった。

タイミング的には、

大学3年の就活準備をしだすとき。

前向きにやる気十分で準備を始めた

就活でいうと、1年のときから意識はあって

インターンシップも1年のときから

たくさん行ったりもした。

3年の冬、年末。

学内の就活サポート最強団体に所属した。

そこで、自分と他人を比較して自己嫌悪の

ループに入ってしまった。

途中でいけなくなって、

気付いたら大学にもいけなくなった。

 

朝起きれなくて、

ずっと布団のなか。

すべてのやる気がどこかへ行ってしまった。

それが半年以上も続いた。

その間、大学の友人だけでなく

高校の友人までも全部、

連絡を取らなくなった。

連絡がきても返事ができなくなった。

自分が情けなくて、話すことができなかった。

家族にも心配かけた。

ただ、深くは聞かずそっと見守ってくれた。

就活の本格的な3月スタートもキレず、

ただ、時間が過ぎてくのを待っていた。

 

ただ、家にずっといると心配をかけるから

ときどき1人で出掛けた。

映画を見たり、1人でご飯を食べたり

そんな日々が約9ヶ月。

ちょうど1年前が精神的に

かなり不安定だった。

全てをリセットしたくてしたくて

たまらなかった。

全ての人の記憶から自分を消したかった。

そのためにどうしたらいいかも

本気で考えた。

危険なことも何度もしかけた。

だけど、実行はできなかった。

今思うと、生かされたんだと思う。

そんな日々のなかでたくさんのことが

きっかけで、立ち直った。

そして、今のわたしがある。

災害。YouTuber。かけられた言葉。

色々なことが繋がって、

病みから復活した。

生きる希望を見つけた。

看護師を目覚すという夢ができた。

 

病んでた期間があったからこそ

今がある。

シャットアウトしてた友人にも

復活してから再会できた。

再び繋がって、大切さも見に染みて感じた。

復活してから悲しい別れもあったけど

出会いもたくさんあった。

 

全てのことに意味がある。

今はそう想える。

今が未来に繋がる。

 

 

初めてのお別れ。

看護助手として働きはじめて約半年

勤務中に初めて患者さんが亡くなった。

これまで休み明けで、亡くなったことを

知った患者さんは何人かいたけど、

勤務中にその報告を受けたのは初めてだった…

祖母より15歳くらい若いおばあちゃん。

空いたお部屋の掃除を1人でしながら、

約2ヶ月、病棟での会話を思いだしてた。

車イスでコンビニまでお連れして

その帰りに「あんたは私の妹みたいなんやねん」そんな会話をしたのを思い出して、

あの笑顔が思い浮かんだ。

「ありがとう。いつも悪いね。」

申し訳なさそうに遠慮がちに

話される姿が印象的で、

日増しにお身体の状態が悪くなる姿を

病状は全く分からないけど、

見てて、お別れが近いのを感じてた。

 

手をぎゅっとにぎって

落ち着くわーとおっしゃってた姿も

印象的。

朝、お顔を拭いたり お茶を入れ換えたり

身体を綺麗にしたり、欲しいものを代わりに下のコンビニに買いにいったり、

医療行為以外の生活のお手伝いをして、

看護助手として、接してきた約2ヶ月間。

慣れない保清も、手慣れてきたねと

お言葉いただいたり、

色んな記憶がよみがえる。

 

いつかはくるお別れ。

日々の業務に想いを込めて丁寧に・・・

親孝行 生きてる間に。できるときに。


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父の誕生日に祖母と3人で淡路島へ。

念願のウェスティンホテル

大学でお世話になった先生のご紹介で。

繋がりって不思議なもんで、

ありがたい。

ヘブンリーベッドに美味しいご飯。

つかの間の休日、満喫。

 

初日は、国営明石海峡公園

たくさんのチューリップを見て、

2日目はホテル近くの植物園と

淡路花さじきの菜の花を見にいって

自然に満たされた2日間。

 

たまにの贅沢。

こうやって、家族と過ごす時間。

限られた時間の中で、

改めて大事にしようと思えた。

 

母に会いたい思いが

強くなる2日間でもあった。

 

家族とのお別れがいつくるか

分からない日々の中で、

急にいなくなられることが怖くて怖くて

たまらないときもあった。

一人になるのが怖くて、

先にいなくなりたいと思ったことも。

今でも、不安はある。

だからこそ、誰かと繋がってたい。

繋がりを大切にするようにもなった。

 

不安に思っても別れは必ずくるもの。

それまでに想いは伝える。

10年前の冬、突然の母との別れ、

後悔もたくさんあった。

 

あの時あぁすればよかった…

いなくなってから気づく存在の大きさ。

あの日に戻れたら。何度も思った。

母がいなくなって今年で10年。

色んなことがあった。

今は傍にいてくれると信じて、心強い。

そう想えるようにもなった。

 

母を救えなかった後悔が

看護師になりたいと想えたきっかけの

1つでもある。

目の前で尽きた命。あの日のことは忘れない

 

いなくなってからでは、

伝えれない感謝の気持ち。

親孝行。生きている間に。

 

自分にも言い聞かせて、日々過ごそう。

 

 

 

 

 

大学を卒業して思うこと

先日、大学の卒業式があり

4年間の大学生活を終えた。

当日は、朝からどしゃぶりの雨。

着付けとヘアセットをしてもらいに

家から電車で少し離れた美容室に。

袴のレンタルで、メイクもセットだと

思い込んでいた。

だけど、お店に着いてから、

メイクはセットに含まれてないと気付き、

全部セットをしていただいてから

慌ててドラッグストアでメイク品購入、、

下地とファンデーションしか朝はしていっていなかったから、アイシャドウとチークとアイブロウ、最低限のものを買って…

ギリギリセーフ、、

もともとそんなにしっかりするタイプでは

ないので、簡単に(^_^;)

 

卒業式は午後からで、

お昼からは天気も回復し、青空に。

虹が出るくらい、よいお天気に。

朝から色々あったけど、

1回生のときから今まで、

唯一、繋がりが続いてて

一番仲が良い友達と一緒に式に出て、

その後、ゼミごとに卒業証書の授与。

 

卒業証書。手にすることはできないと

思っていたときもあったから

言葉にはできない喜び。

高校までとは違って、

自分で選択した道で、

4年間過ごすことができたこと。

かけた時間とお金、それ以上に

得たものがたくさんある。

人との出会いも気持ちの持ち方も。

勉強。恋愛。バイト。

楽しいこともしんどいことも色々経験できて

これからの人生につながる4年になった。

 

大学進学という選択を受け入れてくれた家族

4年間で出会えた、たくさんの方々。

本当にありがとうございました。

そして、これからもよろしくお願いします。
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大学進学してよかったこと。振り返り。

大学進学。

今の大学に決めたのは高3の夏休み前。

今でもはっきり覚えている。

ここしかない。ここにかけよう。

ダメだったら就職か公務員試験受験。

高3の5月までは、

学力が届くところだったら

どこでも進学できるものだと思ってた…

バイトも4月に辞めて、

受験勉強に集中しようと…

だけど、家族と話をして

進学が難しいことがわかった。

シングルファーザーで、

その1年前に父が心臓の大きな手術を

してたこともあり、

自分1人で決めれることではなかった。

 

大学進学でどれだけお金がいるのか。

それまでほとんど知らなかった。

奨学金を借りるという選択はあったけど

どうしてもそれをしたくなくて

バイトで貯めたお金でいけそうなところを

探したら、今の大学が見つかった。

(この選択は高校生ながら、よくやった。

と自分にいいたい。)

高校の就職課に行って話を聞いてみたけど

高校が進学校で就職率数%とかだったから

求人もほぼなく、厳しい現実があった。

 

そんなとき見つかった今の大学の夜間部。

4年生大学で、私立でありながら

学費は国公立より安い。

入学してから知ったが、夜間部と昼間部も

履歴書上では変わらない。

(○○大学  ○○学部卒)

実際にマイナスと感じた違いは、

語学科目が履修しづらいことと

ゼミの先生を選ぶ枠が少ないことくらい

後は学内の設備をいくらでも使えるし、

昼間の授業も60単位まで取れる。

その上、必修もない。

夜の授業は18時~21時15分まで

学費は昼間の約半分。

ここまでコスパのいい大学とは…

入ってみて痛感した。

 

そんな大学生活4年間は

とても刺激的だった。

特に4年の秋学期は最高の半年間だった。

3年の冬から4年の秋前までは

「学校に行きたくない。行けない。

行くのが怖い。」と

嫌なことをされたとかそういうのでは

全くないけど、そんな時期もあった。笑

(その話はまた今度。今は笑って言える)

 

夜間部だったから

社会人の人と接する機会も何度かあり、

そこでできた繋がりは私のこれからの

理想の生き方に影響を与えている。

社会人として働きながら通うということ。

勉強に対する意識の高さ。

授業を受ける姿勢。

学び直すということの価値に

気づかせてもらった。

 

看護師を目指そうと決めたのも

いつ始めても遅くないと思えたから。

そういう行動をしてる人が

周りにたくさんいたから。

いつまでも学ぶ姿勢は大事で、

勉強が大好きな訳ではないけど、

日々、学ぶ姿勢で何事も吸収していくと

色んな出逢いもあるんだなと

周りを見てて思う。

 

4年の秋学期に出逢った社会人の1人。

働きながら大学に来て、

高校教師を目指されている。

教職過程は、

卒業単位にプラスで単位を取る必要がある。

卒業単位は124で

教職だとプラス60単位くらいいると聞いた

このプラス単位がどれだけのものか …

20歳、40歳、年の離れた学生と

共に学ぶということ

私だったらそう簡単に馴染めないと思う。

それでも、チャレンジしてみようと思って

行動にうつすことができるのは

本当に尊敬する。

私もそんな風に年を重ねていきたい。

いつまでも勉強。

 

4年間、通えたこと。卒業できること。

奇跡に近い。

生活面でサポートしてくれてた家族に感謝。

進学という道を選ぶことができて

本当によかった。

ここでの出逢い、

今後も大事にしていきたい。

 

自己紹介と看護助手とは

もうすぐ大学(文系)卒業予定の22歳。

看護師を目指すことを半年前に決めた。

大学卒業後は、看護学校の進学資金を

貯めるために、1年間バイト生活予定。

 

看護助手のアルバイトを半年前に始めて、

お金を貯めながら、日々、勉強中。

勤務先は総合病院の急性期病棟(消化器・循環器)。主に患者さんのお世話と、看護師さんのお手伝いを仕事としている。

勤務時間は早番・遅番に別れていて

早番は7時半~で遅番は11時~

私の病棟は夜勤の勤務形態はないが

病棟によってはある。

1日あたり1病棟に2~3人の助手が勤務。

(最近は、人手不足で1日1人のときも、、)

仕事内容は、配茶・配膳・下膳・外科への患者さんの搬送・食事介助・保清(洗髪・清拭・陰洗)・病室、病棟清掃・書類搬送・お薬・点滴搬送 いわゆる医療行為以外の何でも屋。

 

車椅子移乗と保清は看護師さんからの

チェックがあり、そのチェックで

OKをいただくと1人でできるようになる。

それまでは先輩の助手さんに

指導していただきながら、ペアで行動。

急性期病棟であるため、

患者さんの入れ替えが激しく、

わたしの病棟はご高齢の方が多い。

 

看護助手という仕事を知ったきっかけは

2年前にしていたアルバイト先の店長が

過去にしていたと話を聞いたから。

時給もよく、

現場で看護師さんと接することができる。

理想的な環境だと思い、

半年前に職場を探して今にいたる。

 

実際してみて、

看護師さんのそばで働くということが

目指すにあたってどれだけ価値があるか

気づいてきて、大変なこともたくさんあるが

やりがいのある仕事だ。

 

この1年で、理想の看護師像を

ぼんやりとでも描いていきたい。